現在山口智子さんは2023年で58歳になります!
バブル期に木村拓哉さんとのドラマ「ロングバケーション」が
最高視聴として36.7%をたたき出した超人気ドラマの一躍時の人になりました。
山口智子さんの若い頃から現在まで迫ってみたいと思います。
山口智子の現在の活動
山口智子さんは現在仕事をセーブしながら個人活動「LISTEN.」の活動のため、
年間の1/3は海外で生活されているようです。
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山口智子さんは1990年代華々しい時代のバブル期、連ドラ高視聴率の女優として名を馳せていました。
木村拓哉さんとの共演したドラマ「ロングバケーション」現象で、
「月曜日はOLが街から消える」、またピアノを習い始めた男性が急増した、
など社会現象になったりしました。すごい時代ですねw
そんな山口智子さんの昔に迫ってみたいと思います。
山口智子の子供時代
山口智子さんの実家は栃木県の「鯉安」という120年の歴史のある老舗旅館で生まれ育ちました。
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引用元:鯉安
実父が亡くなり、祖母も引き継いでいたそうですが現在は廃業しています。
山口智子さんは一人娘ということもあり、実家の稼業をつぐよう言われていました。
ところが山口智子さんは旅館の切盛りを祖母が自分の人生を犠牲にしながらしているのを目の当たりにします。
そんな生き方に疑問を抱き、自分は違う人生を選ぼうと実家をでます。
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FRAUのインタビューでは、「週末もよく宴会の手伝いをさせられていた、
友達と遊ぶ暇があったら家で修行しろ」などと祖母にいわれていたそうです。
それと関係しているのか、栃木県立栃木西中学校に在学中は生徒会長を務めるなど
自分の生き方の模索ははじまっていたのかもしれませんね。
短大進学でスカウト芸能界入り
学業などする必要はないと父親にもいわれていた山口智子さん。
そんなことは横目に自分の人生は自分で決める精神があったように感じます。
山口智子さんは東京の青山女子短期大学に進学をすることになります。
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引用元:vivi
そこで芸能界スカウトの声がかかり、
なんと1986年に東レキャンペーンガールとしてデビューすることになります。
雑誌viviのモデルも務めたり、朝日ビールキャンペンガールや東横インの結婚式パンフなど出演。
仕事を始めた理由は「実家に帰りたくなかったから」という山口智子さん。
23歳のとき、事務所でたまたま目にした募集で「純ちゃんの応援歌」に応募、
見事ヒロイン役に合格してしまうのです。強運というか引き寄せがすごいですね!!
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引用元:NHK
またこのドラマには後の夫となる唐沢寿明さんとも義弟役で共演を果たすこととなります。
1995年にお二人は結婚していますね!
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引用元:NHK
祖母はいつかは稼業をついでくれるものと考えていたようですが、
ここはNHKドラマの影響もあるのでしょう、祖母も女優活動を許してくれたといいます。
またこの「純ちゃんの応援歌」のドラマは、
あんなに稼業を継ぐのがいやだった「旅館業を女将として継ぐ」といういうお話しで、
実生活では稼業をのがれたはずが、なんのめぐりあわせかこのドラマで体験することになります。
不思議ですよね。山口智子さんはもちろん見事ヒロイン役を演じ切ります。
山口智子の昔から現在にかけて出演したドラマ・映画など
1990年代は特に同世代の女性からも支持が得られ、高視聴率を連発した山口智子さん。
それでは出演ドラマなど振り返ってみます。
1988年「純ちゃんの応援歌」NHKドラマ
1989年「同・級・生」
1990年「犬笛 愛犬が暴く完全犯罪!」
1991年「もう誰も愛さない」
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引用元:もう誰も愛さない
1992年「子供が寝たあとで」
1993年「ダブルキッチン」
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引用元:TBS
1994年「スイートホーム」
1994年「29歳のクリスマス」
![](https://mariarte.net/wp-content/uploads/2023/07/11-300x164.jpg)
引用元:フジテレビ
29歳のクリスマスも毎年放送される超有名ドラマになりつつあると感じますね。
3人の男女の友情の物語ですが、それぞれ29歳の頃の恋愛、仕事、お金、生き方を考えさせられるストーリー。
毎年マライヤキャリーの曲が流れてくると思いだすドラマですw
1995年「王様のレストラン」
1996年「古畑任三郎・しばしのお別れ」
1996年「ロングバケーション」
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引用元:フジテレビ
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引用元:フジテレビ
この頃役柄設定は木村さん24歳で実際は23歳、山口さんが30歳で実際は31歳だったようです。
木村さんは後に「あの時(ロンバケの時)は本気で(山口さん)を好きだった」と発言されているようです。
確かにリアルタイムでみていた記者もいい思い出で、
みてるだけで幸せな気分になってたものでした。
制作側の気持ちも乗っていて作品が作られていたのかなという風に感じます。
2012年「ゴーイングマイホーム」
2015年「心がポキっとね」
2017年「ハロー張りネズミ」
2018年」「BG~身辺警護人」
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引用元:テレビ朝日
2019年「なつぞら」
2019年「監察医 朝顔」
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引用元:フジテレビ/監査医 朝顔
2020年「監察医 朝顔2」
2021年「正義の天秤」
2023年「正義の天秤2」
などなど数々の作品に出演されています。
山口智子の夫は唐沢寿明
そして人気絶頂期1995年以降、木村拓哉さんとの「ロングバケーション」を皮切りに
唐沢寿明さんとの結婚もあり、かねてからあこがれていた「主婦業」に専念をしています。
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唐沢寿明さんとは大の仲良しと公言されているくらい大好きなようですw
「こんな野生児みたいな自分を広い大地の心で見守ってくれている」
と山口さんは発言されており、唐沢さんあっての自分と思っているようですね。
強盗事件勃発
山口さんのマンションに不信な宅急便が届くとともに
山口さんがドアをあけるといきなり男二人が押し入ってきたのだとか。
その時に体当たりしたのが唐沢寿明さんといわれています。
男性たちは逃げていき、その場では手錠とガムテープが残っていたのだとか。
交際が発覚する
当初はマネジャーが近くにいたと話されてたそうですが、
マンションの管理人に聞くと、マネージャーは上の階に行くことはないと発言。
唐沢さんの写真を見せると「この人」ですといわれたそう。
個人情報もプライバシーもないなと感じますがw
山口さんの身に何も起こらず、また結果として
唐沢さんと身を固めることになったのは(元々決まってたのかもしれませんが汗)
ある意味よいことだったかもしれないですね。
人気絶頂期に舞台から姿を消す
人気絶頂の時に山口智子さんは主要舞台から降りることになります。
FRAUのインタビューでも山口智子さんは、自分自身の人生はこれからも続いていくので、
自分が何に興味をもって何を学びたいか明確にして、合点がいくことをしたいと思ったのだそうです。
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通常芸能人なら、人気を踏み台にもっとのし上がっていく人が多いのではないでしょうかね。
人気絶頂で自分の居場所ともいえる場所を、そこをきっぱり潔く区切りをつけ、
次のステージに向っていく山口智子さんは何かに左右されることなく凛とされてる方だなと感じます。
2000年頃には旅の映像シリーズ制作や、日本の職人のものづくりに惹かれ、
作り手と使い手をダイレクトに結び付けたいという思いから、伝統工芸雑貨のセレクトショップの経営をしていたようです。
現在の民族衣装のようなものをよく召されていると感じます。
子供をもたない人生
雑誌FRAUのインタビューでも山口さんは「ずっと親というものになりたくない、
子供のいる人生をは違う人生を歩みたい」と考えていたそうです。
元々両親は離婚、その後妹と自分は父親と母親とでひきはなされ、
後に旅館の跡継ぎとして山口さんを祖母を親子関係にしている過去があります。
また父親は再婚していますが、山口さんの人生がどう、ではなく、旅館を生かすために人の配置を考える、
そういった行動が人に寄り添ってない感じをうけたのかもしれません。
ただ当時はそういう時代背景で同じようなことはたくさんあったと思います。
ですが、当の本人は本当にたまったものではありません。
その複雑な家庭環境で育ちある意味「現実」をみてきたからの発言だと思います。
ただその分だけ夫唐沢寿明さんとはしっかり向き合われているようで、
山口さんは「自分の選択に微塵の後悔もないです。」といわれているようですね。
旅館ではなくだれのためでもなく、自分の人生を輝かせるためにいきてるんですよね。
山口智子さん、相変わらずイサギのいい方でかっこいいですね。
いかがでしたか?山口智子さんの現在から昔を振り返ってみました。
これからもご自分のしたい独自路線で活躍されるのでしょうか。たまにはテレビにもまた顔をだしてほしいですね!