今回は、年齢を重ねても妖艶な魅力をまとう高岡早紀さんについて書いていきます!ご覧ください!
高岡早紀はデビュー当時からすでに妖艶!中学生でスカウト
当時中学生だった高岡早紀さんは芸能界デビューを早々にはたしています。
幼少期からクラシックバレエを習っていて、
雑誌『セブンティーン』でモデルとして活動を開始。
この「真夜中のサブリナ」という曲で歌手デビューを果たしているのですが、
このころまだ中学生ということでまだ10代なのに
すでに大人のような色香がある雰囲気がします。
とてもみずみずしいですね。
1980年代はちょうどバブル期にあたるんですが、
このころのアイドルは記者の記憶の中ではみんな
「透明感のある目」が印象的な写真が多かったと感じます。
「フレッシュさ」や「あどけなさ」という
日本人特有の売り出し方をしている感じだったと思います。
バブル期がなつかしいです( = =) 遠い目
記者はまだ子供でしたがインターネットなどない時代、
テレビでアイドル番組の放送が非常に多かった時代ですので、よくみてましたね。
デビューのCMは岡田真澄さんと共演
デビュー当時のCMは「マドラス」という
バレエ要素がは入った演出で岡田真澄さんと共演デビューをしています。
アイドル・ミュージアム
その後「魔性の女」とよばれるようになるようですが、
高岡早紀さんは、すでにこのころには持ち合わせている
「個性」だったのかもしれないですね。
高岡早紀のアイドル全盛期・歌手活動もしていた
1989年には映画 「cfガール」で映画デビュー、
1990年には映画「バタアシ金魚」での演技が評価。
「第5回高崎映画祭」ではベストアイドル賞を獲得しているのですが、
高岡早紀がアイドルだったというのは、
みなさんあまりご存じないのではないでしょうか?
アイドル時代の画像はこちら
アイドル時代、歌手活動は1990年まで活動されています。
眠れぬ森の美女
オークフリー
悲しみよこんにちは
ヤフオク
高岡早紀さんが歌手活動をしていることを知らなくてすごく意外でした。
バブル期をにおわすアイドル全盛期の象徴のようなCMも出演されています。
ハウスフルーツINゼリー
さわやかすぎますし、真っ白な袖なしのワンピースや
前髪の上げ方や、「もぎたて」という言葉をあえて使うあたりもバブル期っぽいです。
まず現在のアイドルには「もぎたて」なんて言葉はつかわないでしょう。。
花王のCM(ビオレやメリットなど)
歌手としてのアルバム
現在のアイドルにおいて、方側肩だしのセーターというのはあまりみないですね。
このダボっとしてセーターは現在も好きな男性が多そうな気がしますねw
元祖アイドルって感じでしょうか…(・∀・)
毎日みんながキラキラしてた時代です。
アイドルから女優に転身
高岡早紀さんは7枚のシングル、5枚のベストアルバムなどを残して、
その後女優業に転身されています。
1991年あたりから音楽番組が少なくなっていったことや
所属事務所の倒産なども原因だったといわれています。
その後バブルも崩壊しましたね。
映画「忠臣蔵外伝四谷怪談」出演、女優をやめようと思った
女優業へ転身されて、「魚のように」など数々の映画へ出演されています。
そして1994年の出演映画 「忠臣蔵外伝四谷怪談」では、
お岩の役で演出された高岡早紀さんはこんなことを話されています。
「あまりにもきつすぎてやっていられない、撮影が終わったら仕事をやめよう」と思われたそうです。
しかし、撮影の最後に深作欣二監督から
「おつかれさん。女優って楽しいだろ?」といわれ
そのおもいがけない言葉に「女優は楽しいんだと目覚めさせていただいた」
とインタビューで答えています。
本作品ではたくさんの賞も獲得、
女優になろうと心に決めたのだそう。
一体自分は何者なのかと問う
「今日は女優、明日は歌」ではなく「女優・高岡早紀」言われるようになりたい」
「自分の肩書はなんだろうとわからなくなった時期があったと」
のちの取材ではそう語られており、
歌手活動の停止、事務所の倒産や難しい役の演出、
様々な変化を通してご自身が本当にやりたいことが何なのか、
一時期迷走していたということが伺えますね。
「芸能人は歯が命」のCMでお茶の間で大ブレイク
1995年に出演した美白歯磨剤「アパガード」のCMで
おなじみ「芸能人は歯が命」はその年の流行語にもなっています!
東幹久さんとの共演で、このCMで芸能人の歯の白さなどが特に注目されはじめた気がしますw
このフレーズは学生だった自分はふざけてよく真似してましたw
艶やかで魔性、不倫や数々の浮名も
1996年には俳優の保阪尚希と結婚、2004年に離婚しています。
布袋寅泰との不倫や数々の浮名を流し、
「魔性の女」とよばれたり、世間的には悪女のイメージだったり、
妖艶な女性というイメージも印象付けられたのではないかと思われます。
2014年には歌手活動を再開、実家はジャズハウス
ドラマ出演など様々な経験をされて、
あらためて2014年には歌手活動を再開されています。
高岡さんが歌手活動に再開されたのは、
もともと実家は父親が経営していた横浜馬車道の老舗ジャズライブハウスで、
幼少のころから世界的に有名なジャズピアニスト・山下洋輔さんと
家族ぐるみの付き合いがあったという環境がとても大きいのではないでしょうか?
美しすぎます。記者には神がかってるように見えます。
美輪明宏さんの若い頃や、夏木まりさんを彷彿しました。
不倫や浮名、経験や年齢も重ねて、
または大人の女性の魅力が増えたとも考えられますが、
それだけではなく高岡早紀さんがもともと持っている
「妖艶さやセクシーさ」に磨きがかかっただけかもしれませんね。
高岡早紀さんのまとめとしては、「魔性の女」っていうのはもはや才能ですね!
いかがだったでしょうか(*’▽’)
多面的な顔を持っている高岡早紀さんを今回は知ることができました。
今後もぜひ動向を追っていきたいと思います!